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- 2021.06.23 Wednesday
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こんにちは。
もう吹く風もすっかり秋めいてきました。
先週末に九重の三俣山に登ってきたのですが、それはそれは綺麗でした。
皆様にもおすそ分け
さてさて、今日は手話のお話を少ししたいと思います。
(私はこのエピソードを聞いて、ヨガだと思いました)
ヨガ教室の生徒さんが、数ヶ月前から「手話」を習い始めました。
頑張って週一回通っていますが、習得するのは困難なよう。
クラス中はよく使うので、覚えているけれど、次のクラスの時には
前習っているのは、忘れているとおっしゃっていました。
日常に使う機会がなければ、忘れてしまいますよね。
(そうそう、私の英語と同じです)
数ヶ月通っているので、語彙は覚えているはずだけど、「会話」となると
これまた難しいようで、全く分からないそうです。
なので、手話で話があっても、想像で答えるしかなく、
ちぐはぐな返答をしてしまうそう。
そして、その後で内容を確認して、びっくり。
その時に、「普段、私たちは何て自分の都合で物事を理解しているのだろう」
と思ったそうです。
事実は一つだけど、その事実は、自分の都合のようように、感じたように記憶され
処理されます。
この話を聞いて、生徒さんの意識は内に向いているな〜と思いました。
そして、この内観していくものも、またヨガです。
身体を扱うアーサナ(ポーズ)とは違い、マインドや精神、思考に訴えかけるもの
もちろん、2つのゴールは同じです。
後者が使うツールは「言葉」
サンスクリット語やヨガ哲学がそれを示しています。
来月から始まる「ヨーガスートラを読み解く会」
後者に興味がある方は是非、お越しください。
少し、早い時間ですが、早起きは三文の徳です。
どうぞ、よろしくお願い致します。